オレサマ人生珍道中

日々の出来事備忘録、趣味についてツラツラ書き連ねております。

ホンダブロスpro.2の想ひ出

あー、なんかそんな事考えた事もあったなー

シリーズ第1弾。
 
今回はバイクの話である。
ブログの記事カテゴリーに「バイク」を追加してはや8か月。
一切の記事を投稿しておらずであった。
 
読み返してみたら、最初の記事は最初に乗ったバイクのこと、
て書いてあったので、最初のバイクについて語ってみようと思う。
 
で、その最初に乗ったバイクというのは…
 
ホンダ ブロスプロダクトⅡ
 
である。
 
である、ったって、こんなバイク知ってる人も少ないであろう。
 
正直申しましてオレサマライダー、
このバイクの記憶はかなり薄れてきている。
なんと言ってもこのバイク、発売されたのが1988年である。
 
我が家にやってきたのが恐らく91年の春頃。
 
免許取り立てのオレサマライダー、当時浪人生であった。
勉強はせねばならず、もちろん金なんてあるはずもなく、
バイクの免許取り立ての乗りたくてウズウズした心境にありながら
乗るバイクがない悶々とした状況だったと思う。
 
そんな折、まさかの出来事が。
オレサマの親父がバイクの免許を取ったのである。
 
コイツ何考えてんだ?人が受験であくせく勉強してるのに!
なんて、すねかじりのクセにそんなこと考えたりして。
 
で、財力にものを言わせた親父は無謀にも3台のバイクを買ってきやがった。
 
な、何故3台?!
 
その中の1台がブロスであった。
 
とりあえず最初は借りて乗っただけであるがそのうち辛抱たまらなくなり、
受験終了後金を払う、という約束のもと
親父から譲り受けたのである。
 
スペックは言うに及ばず、乗り味もなにも憶えてない。
写真すら残っていない。
さすがの平成3年である。
 
もう26年も経ってるのか…。
 
なんとなく憶えているのは
・こんなバイクのクセにアームが片持ちスイングアームであること
・Vツインであること
・ギアが5速しかなかいこと
 
こんなもんかな。
片持ちスイングアームって名前がもう…涙が出そうな響きである。
 
カラーが若干いやらしいワインレッドだったな…。
 
そういえばこの頃のバイクといえば、
レース仕様のバイクから市販ベースにデチューンして販売する
所謂「レーサーレプリカ」ブームが若干落ち着き、
満を持してカワサキから「ゼファー」が販売された頃で、
その後に空前の「ネイキッドブーム」がやってくる前衛的な時代であった。
 
そんな中、ホンダから地味に発売されたのがこのブロスである。
 
ちなみに当時のホンダのネイキッドの先鋒は「CB-1」てバイクだったな。
あんなに売れたのに今じゃ全く見かけないけど…。
ブロスは当時から見かけなかったなw
 
今になって調べてビックリ、SOHCであった。
SOHCとは、「シングルオーバーヘッドカムシャフト」の略で、
シリンダーヘッド内のカムが1つしかないエンジンのことである。
って、あんまり理解できないかもだけど。
現在はDOHCが主流であるが、まさかの我が家のステップワゴンは
実はSOHCである。
DOHCは「ダブルオーバーヘッドカムシャフト」の略、
 吸気と排気でカムの役割が別れているエンジンのこと)
 
正直、SOHCだろうがDOHCだろうが乗ってる分には全く分からない。
単純にDOHCの方が高出力である、という理解でいいと思う。
オレサマもその程度の認識しかないし。
 
その分、バイクは一般的に6速なところ、
無理のない5速設定だったんだと思われる。
ミーハーなオレサマライダー、6速ないことが非常に残念ではあった。
 
しかし、このバイクとはあちこち行ったな〜。
地元で浪人していたせいもあり、移動手段は全てバイク、全てブロスであった。
予備校もこっそりブロスで行って、鶴ヶ城の外堀にこっそり停めてたっけ。
 
東京などの都会と田舎で乗る事の違いは、
同じ時間を乗っていたとしても走行距離が全然違うことかと思う。
もちろん田舎の方が長距離移動することになる。
 
ちなみにオレサマの地元は福島の会津地方である。
 
例えばオレサマの地元から会津若松に移動するとして、
片道の距離は凡そ25km。
この距離を約30分程度で移動できちゃったりする。
都内で25km移動ってそこそこの距離だ。
それこそオレサマの会社から自宅の調布くらいの距離はあるだろう。
首都高〜中央道を利用してすいていれば35〜40分くらい。
下道で移動したら軽く1時間15分コースである。
 
なので移動距離でいえば半端ではない距離を
半年くらいで走破していると思われる。
 
夏は新潟の海岸に彼女を連れて海水浴したし、
予備校帰りは猪苗代湖までプチツーリングして、
週末はその足で裏磐梯回って檜原湖で慣れないタバコ吹かして帰ったり、
夜は族とかDQNのクルマに煽られ追いかけられ、
貧乏なのにデニーズに逃げ込んでなけなしの金でコーヒー飲んだり…
 
…っておまえ、、、浪人だったんだろ!
 
一度だけ、駐車場に停めていた時に当て逃げされ、
ギアのステップが内側に曲がり、ギアをチェンジするステーに
引っかかってしまってギアを上げることはできるが下げる事ができない
というアクシデントに見舞われたことはよく憶えている。
そのときは傷だけは分かったのだが走行には問題ないと思い、
乗ったはいいが気づいた時にはすでに3速まで上げてしまって、
その後はずっと3速でスタートするっていうアホみたいな現象であった。
もちろんその後の走行も全て3速である。
だってギア上げたら降ろせないんだもんw
 
3速スタートのドコドコっぷりは端で見たらさぞ滑稽だったろう。
 
「うわぁ、アイツあんなにノッキングして初心者丸出しwww」
てな感覚である。
 
春にはなんとか大学に合格し、持っていこうかとも考えたが、
さすがに東京(正確には横浜)で乗るのは無理だと思い断念。
地元に置いて上京したが、数年後に見なくなってしまった。
 
多分親父が売ったと思われる。
ということで結果、
譲り受けたと言いながら親父から借りてたってことになるな。
 
想い出補正もなにもない、
乗り味がどんな感じだったかもほとんど憶えていない。
ただ、教習所上がりのズブの素人でも扱いやすい、
特に秀でた特徴もない優等生的バイク、それがブロスであった。
 
初めてのバイクだったのに思い入れもなんにもないところが…。
 
ただ、状況的に鬱屈した浪人受験生の心に
一滴の清涼剤的エッセンスであったことは間違いない。
 
イメージ 1
 
そしてここに記載した、
親父が3台買ったバイクの残り2台がある意味凄かった。
 
ということでまた気が向いたら記事にします。